折尾駅の筑豊線のホームへ行くと、びっくりした。すごく外は冷えていた。しかも、霧がすごくひどかった。視界が全くないという状態であった。あれでよく運転できたなぁと感心してしまうほどであった。6時04分発の若松行きは、鹿児島本線の電車の遅れで、約10分遅れて発車した。
まもなくして、6時27分発、博多行きの817系2両編成の普通が到着した。車内に入ると、明るい雰囲気があった。転換クロスシートに座ると、確かに黒革のシートであった。ほぼ定刻通り発車した。しかし、普段の817系のスピードではないような感じであった。依然として霧は晴れることがなく、ひどい状態であった。これでは、特急「かいおう」が心配になってきた。直方には、やはり遅れて到着した。ここで、「かいおう」に乗り換える事にした。今まで乗っていた博多行きの普通は、ここで増結されて、6両編成となって、かなり遅れて発車していった。
直方駅は、2面4線で、離れた所に、筑豊鉄道のホームがあった。そして、駅構内は広く、整備場もあった。しかし、霧は直方に来ても、回復はしなかった。
「かいおう」の入線は、発車約3分前だった。787系の有明編成の車両である。しかも、自由席は、すでに50%を超える状況になっていた。そして、グリーン車に入ると、なんと、電光案内板が故障となっていた。これには、参ってしまった。グリーン車は、乗客が全くなくて、拍子抜けした。「かいおう」は、やはりスピードは、遅かった。本当に減速ばかりで走っていた。
新飯塚、桂川と停まると、すごい列が並んでいて、たちまち自由席は満席に・・・。そして、グリーン車にも乗りこんできて、グリーン車まで満席となってしまった。しかも、桂川を出てから、改札をはじめた。よく聞いてみると、グリーン車の値段は600円であった。自由席が300円。良く考えると、すごく安値である。
しかし、桂川を出ても、かいおうは、スピードを上げることなく、山間へ進んでいく。篠栗の手前で長いトンネルに入った。かなり長いトンネルであった。そのため、スピードを上げた。しかも、今までの遅れを取り戻すかのようなトップスピードであったが、トンネルの出口辺りに来ると、減速し始めた。出口を出ても、霧か…と思いながら、トンネルを抜けると・・・。なんと、霧がほとんどなくなっていた。これには、驚いてしまった。しかも、スピードも速くなってきた。これなら、遅れを少しでも取り戻せるかもしれないと思って、安心していた。
しかし、長者原辺りに来ると、いきなりATSが鳴り始めた。まさか・・・と思ったが、運転停車してしまった。相手は、反対の普通列車か…。と思っていた。再び発車し、駅を見ると、何もいなかった。ひょっとして、前の列車につかえているのではないのか、と思い始めた。案の定、また吉塚の手前で止められてしまった。
このときすでに時間は8時10分近くなっていた。定刻より10分近く遅れている…。そのため、吉塚に停車している、反対側の列車に乗ろうと決めた。吉塚に停車した。すぐに反対側の電車に飛び乗った。単線なので、すぐに発車した。乗ってみると、篠栗行きの普通であった。満員と言う事はなかったが、席は数えるほどしかなかった。813系の車両であった。しかも中間の車両は、ロングシート版の813系であった。仕方なくロングの方に座ることにした。
篠栗が終点の理由なのか、一駅ごとに下車していくのが多かった。そして、長者原駅に着くと、すごい列が並んでいた。どうやら新飯塚・直方方面行きを待っているようだ。そのため、篠栗行きには、ほとんど乗る人はなく、ホームはすごくひどい状態であった。
それを強引につき抜けて、2階にある香椎線のホームへ向かった。香椎線の遅れは、3分であった。定刻よりやはり3分遅れて、宇美行きの気動車が到着した。来たのは、キハ200。ラッキーかと思ったが、中に入ると、なんとロングシート!見せかけにだまされてしまったのであるが、短い区間なら、これでも充分であろう。やはりキハ200は、加速が速かった。香椎線は結構平坦な道のりであった。13分で宇美駅に到着した。1面1線の駅だった。
香椎行きとなった、折り返しの列車は定刻通り発車した。乗客は、ラッシュが終わったのか、余りいなかった。しかし、須恵中央から大量に乗り込んできたが、立ち客が出るほどの混雑はせずに、9時21分定刻に、長者原に到着した。すぐに篠栗線のホームへ向かう。すると、9時05分発の小倉行きの快速がまだ来ていなかった。どうやらかなり遅れているみたいであった。
しばらくホームにいると、直方・小倉方面は発車できない状態であると言う放送が流れた。そのため、すぐに駅の窓口へ走った。すると、どうやら運休状態になっているということであった。時間は、9時30分を回ったところだった。「なんとかして、原田線に乗りたい」と告げた。すると、無理と言う答えが来た。しかし、このとき、指令から、9時05分発の快速が発車した事を知った。これで、なんとかなるだろうと思い、ホームへ戻った。
そして、桂川がダメでも後藤寺線から先に乗れば良いのではないか?と考え、調べると、ビンゴ!ゆふいんの森を片道だけにすれば、なんと両方とも乗れることが出来た。これなら行けると思い、小倉行きの快速を待つ事にした。
9時45分頃、約40分遅れで、小倉行きの817系快速が到着した。所要時間を考えると、桂川に到着する時間は、原田行きの発車時刻とほぼ同じ位の時間に着きそうな感じであった。そこで、一番後ろに行き、車掌に相談をした。すると、指令と連絡を取り合った。結果、接続するようになった、といわれ、これで計画は崩れなくてすんだ。817系の快速は、遅れを取り戻すかのように、走っていた。10時07分、無事に桂川に到着した。二番線に原田行きの黄色のディーゼルカーが止まっていた。そのために、ダッシュで向かった。
原田行きのワンマンカーは、数人しかいなかった。すぐに発車するかと思ったが、下り列車の接続をとってから発車するという案内があった。これなら、走らなくても良かった気がするが…。下り列車が到着したが、乗りかえる客はいなかった。そして、5分くらい遅れて発車した。すぐに篠栗線とは離れて西へまっすぐ向かって線路は伸びていた。駅に到着すると、昔は繁栄していたのであろうが、今はすごく廃れた路線となっていた。平地を走るイメージがあったが、意外と山間を通る路線である事も驚いた。しかも、途中駅から乗ってくる客がいたのも、驚いた。1日5本では、さぞ不便であろうと思いながら…。なぜか遅れは少し縮んで、終点の原田駅に到着した。1番線には、鹿児島本線の小倉行きの普通が待っていた。すぐにダッシュ。当然間に合った。
乗った車両は、811系であった。良く考えると、あまり乗ったことがない車両であった。ほとんど客もなく、快適であった。そして、二日市に着こうとしたときに、特急列車の乗換え案内があった。よくみると、特急のほうが早く着く事が分かった。そこで、二日市で811系を捨てた。
すると、案内放送では、やはり遅れの案内をしていた。どうやら鹿児島本線の遅れは、一向に回復していないらしい。そのために、次に乗る「かもめ・みどり」は、8分遅れで到着した。自由席なので、デッキに立たされる羽目に…。しかも、超満員で最低であった。約7分くらい遅れて終点の博多駅に到着した。すぐに、篠栗線のホームへ向かう事にした。すると、定刻通りのダイヤになっていそうな、案内板があった。だが…
11時08分発の、篠栗行きの普通は、定刻通り発車した。それを見たとき、すでに筑豊方面は、ダイヤは正常に戻った事を確信していた。しかし…。どんどんと博多駅に列車は到着するが、すべてが回送列車となり、行ってしまう。結局、11時27分発の小倉行きの快速は、2分くらい遅れて発車した。結構混んでいた。列車は篠栗を出ると、急に山岳路線へと変貌していく。そして、桂川近くになると、やっと平地へと変わっていった。約35分で新飯塚に到着した。
ここは、後藤寺線との分岐駅、2面3線の駅であった。ちょうど12時を過ぎていた事もあり、ここで昼飯とした。駅のそばに立ち食い感覚の店があり、そこで、昼飯になった。昼飯の後に、すぐに駅のホームに行った。すでに田川後藤寺行きのワンマンカーは停まっていた。しかし、1両編成ですでにボックスシートは取られていた。そのために、ロングシートにしか座れなかった。12時45分に発車。
高校生がたくさんいて、通学列車となっていた。でも混雑はなく、立ち客もなかった。新飯塚駅を出て、すぐにボタ山を発見した。しかし、カメラに撮る事が出来ずにショックであった。しばらくすすむとコンクリート工場が広がっていた。炭鉱のイメージだったのがコンクリートのイメージに変えられてしまった、後藤寺線の旅であった。13時07分田川後藤寺に到着した。さすがに広い構内であった。
ここで、1時間の空き時間があるので、しばらく後藤寺駅前をウロウロとする事にした。
この時間なのに、高校生が多かった。というのは、今日は卒業式だったみたいだ。良く考えれば、そんな時期なのだ。しばらく歩くと、商店街を発見した。懐かしい感じがしたので、どんどんと奥に行ってみる事にした。しかし、半分くらいが閉鎖となっていたのを見ると、やはり寂しいものを感じた。炭鉱が最盛期を迎えていた頃の様子とは、えらく違うであろう。商店街の奥のほうに喫茶店があり、そこで、時間をつぶすことにした。そして、14時前に、田川後藤寺駅へ戻ることにした。
14時過ぎに駅のホームに入った。この頃になって、花粉症がひどくなり、最悪なコンディションとなった。すぐに日田行きの2両編成の列車が到着した。かなり満員であったが、この駅でかなりの下車客があり、安心してワンボックスを取ることが出来た。ここで、車椅子の人が乗りこんだ。停車時間が長いために、遅れに影響はないものの、このバリアフリーに属さない、旧国鉄型車両は、いただけない感じだ。
この田川後藤寺からも学生が乗りこみ、通学列車化となっていた。途中、豊前川崎を出ると、すぐに廃線跡が見つかった。どこの路線なのか、分からなかったが、炭鉱が繁栄していた時代では、最盛期だったのだろう。今では、どの駅でも廃れていると言う感じである。添田を出ると、学生がほぼいなくなった。そして、彦山駅を出ると、乗客の数も一気に寂しくなった。長いトンネルをくぐると、しばらくして、大分県の日田市に出た。しかし、まだ都会ではなく、山ばかりのローカルな所を走っていた。15時16分夜明駅に停車した。夜明駅で思い浮かべるのは、「男はつらいよ」の寅さんが降りた駅である。ここで、反対列車で特急「ゆふ」との行き違いで、3分停車した。しかし、指令から「ゆふ」の遅れの報告が…。そのため、定刻通り、夜明を発車することになった。
夜明を出ると、平坦な道に変わった。次の光岡では、反対列車の「ゆふ」が停車していた。やはり「ゆふ」は、遅れているようだ。そして、中を覗くと、かなりの乗客がいた。自由席、指定席ともかなり乗っていた。ここで、高校生らがたくさん乗りこんできた。そして、15時30分を少し遅れて、終点の日田に到着した。
日田は、自称天領の都市、しかし、駅の外に出ても、みやげ物らしき店は、ほとんどなかった。かといって、温泉にでも行こうと考えたが、徒歩で15分以上も歩かないと行けないために、あきらめた。そのため、駅前を少し散策しただけで、駅の待合室で次に乗る「ゆふいんの森」が来るまで待つことにした。16時を過ぎてから、ホームへ行くことにした。ホームに着くと、「ゆふいんの森」は、3分ほど遅れて到着する事が判明した。
16時25分頃に「ゆふいんの森」は到着した。久しぶりに乗る「新ゆふいんの森」は、やはり期待を裏切ってくれない車両である。中に入ると、かなりの乗客がいて、ほぼ満席であったのは、驚いた。やはり週末は由布院で過ごすのであろうか…。さっそくビュッフェのメニューが変わっているかどうか、座席のポケットにあるメニューをチェックする事にした。やはり、変わっていた。新メニュー制覇は、帰りの「ゆふいんの森」にする事にして、景色を楽しむ事にした。
滝や切り株のような山には、ちゃんと説明があり、なるほど観光列車だ。放送でもちゃんと「観光列車ゆふいんの森」と称している。ここで、ふと疑問がよぎってしまった。客室乗務員の数が少ない事に気づいた。一体何人なのか、確認すると、なんと2人しかいない事が分かった。以前は、1両1人の単位で客室乗務員がいたのに、これには、ショックを隠し切れなかった。約50分ほどで終点の由布院駅に到着した。
由布院駅をすぐには出ずに、反対ホームに停車していた、「ゆふ102号」の写真を撮りに行った。2両目の元グリーン車の座席をカメラにおさめた。その後、出ることにした。駅を出ると、待っている人がたくさんいるかと思ったが、全くいなかった。17時半頃になって、帰りの「ゆふいんの森」の改札が始まった。ゆふいんの森号に乗る人は、結構少ないみたいだ。1両目は、ほとんど人がいなかった。数人しか埋まっていなく、先ほどのに比べると、非常に寂しい状態である。17時36分、定刻に発車した。
今度は、全く人がいないために、リクライニングを思いっきり倒すことにした。すると、普通車の割には、深く倒れる。発車してしばらくすると、ビュッフェの営業の案内があった。それにつられて、すぐにビュッフェに向かう事にした。ボックスシートにくると、なんと大学生グループが4つのボックスのうち、3つも取っていた。指定して取ったに違いない。ビュッフェで買ったのをここで、食そうと考えていたが、どうやら無理みたいであった。
新メニューのウインナー2種と地鶏のはら身と地ビールを頼んだ。ゆふいんの森弁当や香草弁当が真新しかったが、次回に挑戦する事にした。ビュッフェで注文の品を待っていたのだが、かなり揺れる事が分かった。線型が悪いせいもあるし、高速運転している理由もあるが、結構振られる事が多かった。
恵良駅では、通過中に宮原線の跡を見つけた。ビュッフェでしばらくの間、たたずんでいる事にした。次の豊後森駅の近くには、すでに朽ち果てていた機関庫と転車台を見つけた。あまりにも無残な状態となっており、いずれ壊される運命にあるだろうと思った。
実は、ゆふいんの森に乗っていて、なんか変な感じがしたのだ。それは、トイレに入ったときであった。いつもなら耳障りのない音楽が流れていたはずなのに、この列車には、その音楽がなかった。どおりで、おかしな感じがしたわけであった。日田を出て、夜がだんだんと支配してくると、ゆふいんの森号の雰囲気が感じられなくなってしまい、寂しい道中となってしまった。
この列車でも2人しか客室乗務員は、いなかったが、キャンディーのサービスがあったのには、少し喜んでしまった。今回は、日田から久留米までの景色を結構真剣に見ていたが、意外にも山岳路線ではなく、平坦な路線である事が分かった。また、結構運転停車が多い事も分かった。相手は、普通列車と言うのもあり、特急が先に先行していたのか、普通が遅れて到着したのか、分からなかったが、たくさんの運転停車があったことが意外でも有り、それが、少し所要時間が遅くなると言う原因にもなりそうであった。どおりで、トンネルの数が少なかったわけである。19時19分定刻通り久留米に到着した。これで、ゆふいんの森号の旅は終わった。
ゆふいんの森号を見送った後、すぐに鹿児島本線下りのホームへ行った。すると、「つばめ」の遅れの案内があった。約6分遅れ…。全く動揺は、なかった。むしろ、もう少し遅れても良いかなと感じていた。案内通り約6分遅れて、787系「つばめ」が到着した。久しぶりに乗る豪華な特急車である。グリーン車は結構こんでいるかと想像していたが、意外にも空いていた。
早速、肩書き通りのサービスがあり、その後、メニューを見る事にした。すると、2年前に比べて、だいぶメニューも変わっていた。半分以上が新商品となっており、これは、制覇する価値があると思った。また熊本を過ぎてからのほうが、人が少なくて快適にビュッフェで過ごせると感じ、熊本を過ぎるまで、座席に落ち着いている事にした。その間は、イヤホンをもらい、音楽を聴いて過ごすことにした。大牟田から熊本まで30分近くかかるのだが、なぜか、まったくそんなにかからないように思えたのは、つばめ型ならではの魅力ではないだろうか…。
20時25分頃に熊本に到着した。かなり降りていく人を見た。これで、ビュッフェは、空いているだろうと思い、熊本を出た直後に行くことにした。しかし、ビュッフェは、大混雑をしていた、しかもサラリーマンが勝手に宴会を開いていたのは、すごく驚いてしまった。どうやら、隣のボックスシートが奴らの指定席らしかった。確かに、飲食物にはすぐにありつけるから、便利であろう。あきらめて、グリーン車に戻ることにした。八代を過ぎれば、あのサラリー連中もいなくなると予想して…。
八代を出て、すぐにビュッフェに向かった。しかし、相変わらず、ビュッフェで過ごしていた。これでは、後にひけないと思い、ビュッフェでくつろぐ事にした。かなり混んでいたが、テーブルを一つ見つけて、ここでメシの時間とした。「焼きラーメン」、「さつま揚げ」、「めんたいちくわ」、「ピザ」など本当に全部食えるのか?というくらいたくさん注文をしてしまったが、なぜかこれが、のんびり食っていると意外にも入っていくものだ。
九州新幹線の工事は、残念ながら、暗くて何も見えなかったが、かなり出来ている事であろう。佐敷で、寝台特急「なは」が見えた。ビュッフェの所からは、ちょうど、B二人用個室「デュエット」が見えたが、誰も乗っていないようであった。5分くらい遅れて、最終の博多行きの「つばめ」が通過した。ここで、遅れは、合計約10分となった。
大混雑をしていたビュッフェも、鹿児島県に入った出水辺りから、ガラガラになった。そのために、暇なのか、客室乗務員からいろいろと話し掛けられた。2年近く乗っていなかったために、多分新顔のほうが多いだろうと思っていたが、案の定、見たことのない顔であった。しかも、3人乗務だと知ったり、鹿児島の人間である事も聞いた。
やはり、この時間になると、精神的にも落ち着くのであろうと感じた。誰もいない事を理由にビュッフェ内の写真を撮ろうと試みた。乗務員の人も快くOKしてくれたので、撮りまくった。そして、カウンターの中から写真を撮らせてもらい、経験した事のない、乗務員しか入れないところにも入れて、すごくうれしかった。
阿久根を過ぎると、ビュッフェの営業は終了だが、いても良いと言われたので、遠慮なく、川内を過ぎるまでいる事にした。ふたたび座席に戻ってからは、音楽を聴いて終着駅まで過ごすことにした。串木野、伊集院となんとなく、九州の南の果てに来たなぁと感じていると、定刻より、10分近く遅れた23時過ぎに西鹿児島に到着した。
接続待ちをしていた、最終の指宿枕崎線の指宿行きがすぐに発車していった。それを見送ることなく、改札を出て、まずは、駅の外に出てみる事にした。西鹿児島駅の駅舎の屋上は新幹線ホームが出きるはずだが、出来ていなかった。それを確認すると、また待合室へ戻った。戻って座ろうとしたときに、博多行きの「ドリームつばめ」の改札が始まった事を告げた。なんと早い事であろう。やはり遅れていたから、その分すぐに乗れると言う事だから、良い事であろう。まもなくして、「ドリームつばめ」が入線してきた。
787系のつばめ型車両。車内に入って、いきなり車掌が案内をはじめた。どうやら自動放送が故障しているようであった。23時45分。反対側に西鹿児島に到着した、「つばめ」がついた後に、すぐに発車した。定刻通りである。遅れなどの影響はなくなったようだ。伊集院、湯之元、串木野、川内でかなり自由席から下車客があったようだ。最終列車でもかなり乗っていたに違いないが、すでに自由席はガラガラの状態であろうと思った。3夜行目なのか、阿久根を過ぎてから、記憶がなくなった。一度、熊本で目を覚ましたが、次に目を覚ましたのは、鳥栖を過ぎた所であった。時刻は、5時半を回ったところであった。鳥栖から博多間は、スピードが抑えられているようであった。5時46分、定刻に博多駅に到着した。